【長崎原爆の日】さよなら、大嫌いな人

 

 

どうも、はたぼーです。

 

 

今日はかなり私事のお話なので、

興味無い方はスルーしてください。

 

 

 

 

8月9日、今日は長崎原爆の日。

 

世間では原爆といえば広島ですが、

僕にとってはこっちの方が馴染みあります。

 

僕の祖父母が長崎生まれで、

まさに原爆を体験しているから。

 

祖父母は既に亡くなっています。

 

 

 

8月9日。

 

南は湘南の海方面と、西の長崎方面を向いて、

静かに目をつぶって礼をして二人を想います。

 

先人たちへ感謝と敬意も込めてね。

 

 

 

なぜ祖父母のことを想うのか?というと、

祖父母が僕の育ての親だから。

 

僕は7人兄弟なのですが、

3歳の頃、僕だけが実父母から離れ

祖父母に引き取られて育った。

 

これは僕自身が望んだこと、

だったと記憶しています。

 

 

 

実際、実父母の家庭はめちゃくちゃだったので

幼いながらにそのダメさ気づいていたんだろう。笑

 

あとは孫だってことで、

やっぱり祖父母はかわいがってくれるから。

 

だから僕が3歳の時に

「ばーちゃん、じーちゃんのところへ行きたい!」

って意思を伝えた。(はず)

 

 

 

この選択は正しかった。

 

大学までいって普通に就職したのは

兄弟でたった1人、僕だけ。

 

祖父母のおかげです。

 

 

 

姉は何をしているか分からない。

 

 

兄3人は全員施設に預けられるも

グレて全員刑務所を経験する始末、

こいつらも今は何をしているんだか。

 

 

弟は軽度の知的障害を持ち、

兄とは違う施設で育てられた。

 

弟は一応まともに仕事をしていて

今でも唯一連絡を取っているし

たまに飲みに連れていってる。

 

障害者だから

信じられないくらいに給料が低いからね、

兄としてそれくらいはしてあげないと。

 

 

妹は父が違うし、

会ったことも2度くらいだったかな。

 

だから血は繋がっているけどもはや他人、

実母はちゃんと育てていないと聞いてる。

 

 

 

こんな感じで

実父母の家庭はめちゃくちゃ。

 

ばーちゃんとじーちゃんに引き取られ、

それなりに普通の道を歩むことができた。

 

今の僕がいるのは祖父母のおかげなんです。

 

 

 

ただ…じーちゃんのことは

めっちゃくっちゃ嫌いだった。

 

大嫌いだった。

 

 

僕が幼い頃は

よくタバコの息を吹きかけられた。

 

「セブンスター」か「峰」

っていうタバコを吸っていて

ヘビースモーカーだった。

 

本当にイヤだった。

 

 

 

まぁそんなことは序の口で、

一番イヤだった、許せなかったのは

 

ばーちゃんへの暴言と暴力。

 

これは、

僕が幼い頃からばーちゃんが脳梗塞になって

老人施設に入るまでずーっと続いた。

 

 

じーちゃんは何もできない人だった。

 

お金の計算もできないし、

ご飯を作ることもできない。

 

できないというかしないのが正しいかな、

料理関係の仕事をしていたと聞くから

ご飯が作れないってことはないはず。

 

 

生活のすべての作業は

ばーちゃんに押し付けていた。

 

 

それでいて、

何かうまくいかなければ

ばーちゃんへ八つ当たり。

 

「お前のせいだ!お前がちゃんとやらないから!!」

 

当時住んでいた41棟もある

市営団地中に響くくらい

大きな罵声を浴びせていた。

 

時にはばーちゃんの髪を引っ張り

元軍人の大きな拳で襲っていた。

 

 

ばーちゃんは10代の頃から

じーちゃんといるから慣れていたのか。

 

すごく辛抱強くて文句も言わなかった。

 

 

だけど、たまに風呂場で

シクシクと泣いていたのは知っている。

 

幼い頃の僕には何もできなかった。

 

 

じーちゃんは戦争を経験していて

元軍人だけあってパワーだけはあった。

 

僕が幼い頃は止めてもビクともせず

「やめろー!」って泣き叫ぶしかできず。

 

震える手で電話を握りしめて

「助けてください、ばーちゃんが・・・」って

近所の人に助けを求めたこともあったな。

 

 

僕が中学、高校になったら

パワーもついてきて止めることはできた。

 

なんなら倍返ししてやった。

(今思えば酷い、これはやってはいけなかった)

 

暴力を止めることはできたんだけど、

それは僕がいる時だけの話。

 

 

僕がいない時には変わらず

暴力や暴言が浴びせられていた。

 

なんでそれが分かるのかっていうと、

家に帰る時に静かにドアの前に立つと

中からそういう音が聞こえることが多々あったから。

 

 

速攻でドアを開けて駆けつけて

ばーちゃんを助けるんだけど。

 

僕が学校やバイト、

遊びに行ってる間も続いていたんだろうな。

 

というのは容易に想像できた。

 

 

ばーちゃんはさすが大正生まれの女。

 

すべては男性が優先で

基本的には文句を一切言わない。

 

昔、こうあるべきとされていた

日本の女性の象徴そのものだった。

 

ホント我慢強かったな。

 

 

でも、それをいいことに暴力や暴言を続ける

じーちゃんのことは許せなかったし大嫌いだった。

 

定年、65歳過ぎてもそれだよ?

信じられないよね。

 

僕の中でじーちゃんは

「厄介者」でしかなかった。

 

 

で、僕が社会人になって1年目の真冬。

(といっても、もう退職しててプータローだったけど)

 

ばーちゃんは突然自宅で倒れた。

 

脳梗塞で入院が必要・・・

思ったよりも事態は深刻。

 

そのまま家に帰ることは叶わず

老人施設に入居することに。

 

 

じーちゃんはその事実を受け入れられず

何度も何度も老人施設に足を運んでは

ばーちゃんを自宅に連れていこうとした。

 

ホント、老人施設のスタッフさんから

クレームを僕が何回受け付けたことか・・・

 

 

知っている人も多いと思いますが、

老人の数に対して施設って全然足りていなくて

老人施設ってなかなか入れないんです。

 

だから、その時ばーちゃんが

即時で老人施設に入れたのは奇跡であって

一度でも追い出されたら自宅介護が必要。

 

そうなったら僕の精神は崩壊していたと思う。

 

 

ばーちゃんが施設に入ってから2ヶ月、

もっと僕の自宅に近いところで

新しい老人施設ができる。

 

とのことでそっちに転居することに。

 

じーちゃんには新しい老人施設の場所を教えず

ばーちゃんの転居を実行した。

 

 

それで、じーちゃんの迷惑行為はおさまった。

(というか、できなくなった)

 

 

 

で、そこから半年くらいしてからだったかな、

突然じーちゃんの具合が思わしくなくなって。

 

あの元気でピンピンしてたじーちゃんが

老人施設に入居することになってしまった。

 

(この頃、経済的にキツかったな・・・)

 

 

生涯をともにしてきた

ばーちゃんとじーちゃん。

 

違う老人施設で過ごすことに。

 

ばーちゃんとじーちゃんは老人施設、

僕はばーちゃんとじーちゃんの家、

つまり実家に一人暮らしという状況になった。

 

 

僕はどっちの施設にも通いましたよ。

 

いろいろ手続きとかもあるし、

様子を聞かなきゃいけなかったから。

 

特にばーちゃんは気になっていたしね。

 

 

じーちゃんは最初に入った施設では

スタッフさんにセクハラだか暴言だか、

レッドカードくらって追い出された。

 

相変わらずめんどくさくて大嫌い。

 

で、いろいろあってまた別の施設に入居、

そこでは落ち着いたかな。

 

 

ここの「いろいろあって」は

本当にいろいろありまして。

 

これはまた別の機会にでも。

 

 

で、老人施設に入って

1年、2年と経っていくと・・・

 

やっぱり弱っていくんですよね。

 

 

ばーちゃんは脳梗塞で歩けなくなり、

みるみると脳みそまで弱っていった。

 

歩かない、動かないから

記憶もどんどん失われていって。

 

いつも通りお見舞いに行っても

「今日は何の用事ですか~」

と、他人行儀。

 

気づけば20年以上も一緒に生活をした

僕のことも忘れてしまった。

 

悲しくて泣きそうにもなるんだけど、

何度も、変わらず、見舞いには行った。

 

ついには寝たきりになってしまったから

亡くなるのも時間の問題かなと思っていた。

 

 

じーちゃんは新しい施設に入ってからは

なんだかけっこう落ち着いていたみたい。

 

見舞いにいくたびに

カラダは細くなっていってたな。

(病院食だからってこともあると思う)

 

口調もどんどん優しくなっていってて

 

「ばーちゃんは元気?」

「来てくれてありがとう」

「また会いたいな」

 

なんて、元軍人の大きな体で

暴言・暴力を浴びせていたじーちゃんは

どんどん消えていってた。

 

ま、それなりに元気だったから

じーちゃんはまだ長生きするかな、

なんて思っていました。

 

 

じーちゃんも落ち着いたから、

年に1~2回は車をレンタルして

ばーちゃんに会わせてあげた。

 

二人の間にほとんど会話は無いけど

穏やかな空気が流れていた。

 

お見舞いのおやつにと買った

もみじ饅頭をほおばりながら、

すごくゆったりとした時間。

 

この時、

「二人を別の施設に入れて正解だったのかな?」

なんて思ってしまったよね。

 

 

 

 

・・・

 

 

そして時が経ち。

 

先に逝ったのは、じーちゃんだった。

 

 

信じられなかった。

 

もっと長生きすると思っていたから。

 

 

僕の中に「覚悟」が無かったのか、

身内が亡くなる経験が初めてだったからか。

 

電話でその知らせを聞いた後、

何時間も大粒の涙が止まらなかった。

 

号泣。

 

 

あんなに嫌いだったのに。

大嫌いだったのに。

 

いざ亡くなったら泣く。

 

結局、どこか好きだったんだろうなと。

 

 

「さよなら大嫌いな人」ではなかった。

 

 

思えば、じーちゃんは

いつも僕の味方だった。

 

迷惑行動は数知れずだけど、

僕のことはいつも優先してくれた。

 

 

小さな頃はアレもコレもと

いろいろ買って与えてくれた。

 

ファミコンやスーパーファミコンのカセットは

今でもウチに大量に残ってる。

 

 

 

印象強く覚えていることがあって。

 

小学生低学年の真夏のある日、

僕がテレビで怪談系の怖い話を聞いて

「夜」というものがとてつもなく怖くなった。

 

トイレに行くのも、何をするにも

お化け・幽霊みたいな存在が

どうしても怖くて動けなくなっちゃって。

 

何もできなくて、怖くて

むっちゃ泣いてしまってね。

 

そしたらじーちゃんが

「大丈夫、何かでてきたらコレでやっつけてあげるから」

って、木の棒持って寄り添ってくれたことがあって。

 

 

あの時ばかりは

元軍人の大きな体が

ヒーローに見えた、

 

 

おかげで僕も落ち着いて、泣き止んで、

ぐっすりと眠りにつくことができた。

 

寝てしまえばね、

次の日はケロっとしたもんですよ。笑

 

 

そう、いつでも味方をしてくれていた。

 

 

でも、迷惑行動もあったし

僕の反抗期の酷さもあいまって。

 

じーちゃんは「大嫌いな存在」という

そのイメージがあまりにも大きかった。

 

 

だから、僕はじーちゃんに

「好き」という感情は一切無いと

思い込んでいたし。

 

亡くなったところで泣くはずはない、

むしろ「スッキリする」と思っていた。

 

 

だけど…

 

亡くなったら大号泣、

人生でTOP3に入るほどに泣いた。

 

訃報を聞いた時も、

その後けつけて顔を見た時も、

お棺で眠っている姿を見た時も、

火葬で見送る時も。

 

とにかく泣いた。

 

 

その1年後に後を追うように

ばーちゃんも亡くなったのですが。

 

その時ももちろん泣いたんだけど、

その比じゃないほどにじーちゃんの時の方が泣いた。

 

 

 

大嫌いだったけど。

 

心の奥底では「好き」だったし

頼りにしていたんだなと。

 

亡くなって、たくさん泣いて

初めて気づいたんですね。

 

 

今思えば。

 

成人してから一度くらいは

一緒に酒を飲みたかったな。

 

 

大切な人って身近にいるもの。

 

だけど、

その存在を当たり前に思ってしまい

普段は「大切だ」って思わないんですよね。

 

 

改めて、自分の周りを見回して。

 

「大切な存在」は認識して

ちゃんと大切にしていきたいですね。

 

そうしないと、必ず後悔するから。

 

 

僕の場合はまずは家族、

妻・息子・愛犬・愛猫。

 

そして仲良くしてくれる友人・仲間。

 

考えてみれば

めちゃくちゃ恵まれています。

 

 

こういう日くらいは改めて

「ありがとう」を深く心に刻んで

周りに感謝しないとですね。

 

 

あなたのまわりにも

必ずいるはずですから。

 

1年に1回でいいから

しっかり感謝の気持ちを持ちましょ。

 

 

そして、

あとどれだけ一緒にいられるか?

それを改めて考えてみてください。

 

長いようで短いですよ。

 

けっこうダラダラしているヒマは無いです。

 

 

 

2023年8月9日

 

ばーちゃんとじーちゃん。

 

いつも味方でいてくれて

本当にありがとうございます。

 

あなた方が築いてくれた「僕」は

周りの人のおかげもあって

より楽しく生きていきます。

 

好きだった志村けんの真似も

相変わらずしていますので、

天国で笑っていてくださいな。

 

これからも、温かく見守っていてください。

 

 

 

 

■PS.

 

今日はじーちゃんのことをメインで書きましたが、

おばあちゃんっ子でばーちゃんが大好きです。

 

今年もばーちゃんの似顔絵を見て、

また元気に活動していきたいと思います。

 

ばあちゃんの似顔絵

おばあちゃん

 

 

 

 

 

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プロフィール

名前:はたぼー

音楽と旅行が好きな42歳。

 

3歳で父母から離れ、祖父母のもとへ。

7人兄弟だが祖父母のもとで1人で育つ。

 

20歳:大学学費をすべてバイトで負担

23歳:ごく普通のサラリーマンに

36歳:超初心者からネットビジネス開始

37歳:約1年かけて初報酬ゲット…

38歳:稼げない…ネットビジネス迷子

39歳:新ノウハウ(日記ブログ)でやり直し

   →報酬をあげ続けられるように

40歳:メルマガでの総収益100万達成

   → メルマガのみで250万超え

 

サラリーマンという生き方に疑問を持ち、
行動を起こしたものの2年半稼げず。

 

その後、日記ブログで0→1を達成し

今ではゆるゆるとお金を稼ぎながら、
自分の人生を謳歌。

 

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